入所施設のBCP―24時間体制だからこその課題と対策

厚生労働省のひな形を使ってBCP(業務継続計画)を策定したものの、「これで本当に大丈夫なのか」「実際の運用はどうすればいいのか」と不安を感じている施設管理者やBCP担当者は少なくありません。特に入所施設では、利用者が24時間生活する場であるがゆえに、通所系や訪問系の事業所とは異なる固有の課題が存在します。

本稿では、入所施設が直面する3つの重要課題―夜勤帯の緊急対応、長期的なライフライン途絶への備え、施設内での避難生活の質確保―について、実践的な視点から解説していきます。

入所施設BCPの特殊性を理解する

入所施設のBCPが他の介護事業所と決定的に異なるのは、「利用者を帰す場所がない」という点です。通所介護であれば災害時にサービスを休止し、利用者は自宅で過ごすことができます。しかし、特別養護老人ホームや介護老人保健施設、有料老人ホームなどの入所施設では、施設そのものが利用者の生活の場であり、災害が発生しても24時間365日のケアを継続しなければなりません。

厚生労働省が示すBCPのひな形は、基本的な項目を網羅した優れた枠組みを提供していますが、各施設の個別事情を反映させるためには、さらなる具体化と実践的な落とし込みが必要になります。ひな形を埋めただけでは「計画」として完成しても、「実行可能な計画」にはならないのです。

夜勤帯の緊急対応―最少人員での初動が生死を分ける

夜間の人員体制がもたらすリスク

入所施設における最大の脆弱性は、夜勤帯の職員配置基準が最小限に設定されている点にあります。特別養護老人ホームの場合、入所者25名に対して介護職員1名という配置基準(2対1配置の場合は50名に2名)が一般的です。つまり、大規模災害が夜間に発生した場合、施設全体でわずか2~3名の職員しかいない状況で、数十名の要介護高齢者の安全を確保しなければならないのです。

この状況下で求められるのは、限られた人員で優先順位を明確にした初動対応を行うことです。しかし、多くの施設のBCPでは「安否確認を行う」「避難誘導する」といった記載にとどまり、具体的な行動手順が明示されていません。

夜勤帯の初動対応プロトコルの構築

実効性のある夜勤帯BCPには、次のような要素が不可欠です。

まず、利用者の優先度判定基準を事前に定めておく必要があります。医療依存度が高い方、身体拘束を実施している方、認知症により行動障害のある方など、夜間の災害発生時に特に注意が必要な利用者をリスト化し、職員が即座に判断できる仕組みを整えます。これは平時から「夜勤者用の緊急対応リスト」として整備し、夜勤開始時の申し送りで確認する運用が効果的です。

次に、夜勤者単独でできる対応と、応援を待つべき対応の線引きを明確にしておきます。例えば、震度5強以上の地震が発生した場合、夜勤者は施設内の全利用者を一人で避難誘導することは物理的に不可能です。したがって、「自力歩行可能な利用者への声かけによる自主避難の促進」「転倒や落下物のリスクが高いエリアの利用者の優先的な移動」「重度要介護者は居室で安全確保を優先し、応援到着まで待機」といった段階的な対応方針を定めておく必要があります。

さらに重要なのが、夜勤者から管理者への連絡体制と、管理者から職員への招集体制の整備です。災害時には電話回線が輻輳する可能性が高いため、複数の連絡手段(固定電話、携帯電話、メール、SNS等)を用意し、連絡がつかない場合の代替手順も決めておかなければなりません。また、招集に応じられる職員と応じられない職員を事前に把握し、優先順位をつけた招集リストを作成しておくことも実践的です。

長期的なライフライン途絶への備え―最低3日、できれば1週間

ライフライン途絶が入所施設にもたらす深刻な影響

2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、2018年の北海道胆振東部地震など、近年の大規模災害では、電気・水道・ガスといったライフラインの復旧に相当の時間を要する事例が相次いでいます。厚生労働省のBCPガイドラインでは「最低3日分、できれば1週間分の備蓄」が推奨されていますが、これを単なる数値目標として捉えるのではなく、その期間をどう乗り切るかの具体的シミュレーションが求められます。

入所施設では、食事の提供、排泄ケア、入浴サービス、室温管理、医療的ケアなど、ライフラインに依存した業務が多岐にわたります。これらが一度に途絶した場合、利用者の生命・健康に直結する重大な事態となるのです。

電力途絶への多層的な備え

電力供給が停止すると、照明、空調、エレベーター、給湯、厨房機器、医療機器、情報通信機器など、施設運営のあらゆる側面に影響が及びます。非常用発電機を設置している施設は多いものの、その燃料は通常2~3日分程度であり、長期化した場合の対応策まで検討している施設は限られています。

実践的な電力途絶対策としては、まず施設内の電力使用の優先順位を明確化することが出発点となります。生命維持に直結する医療機器(吸引器、酸素濃縮器、人工呼吸器など)、食品の冷蔵保存、最低限の照明と通信手段、これらに非常用電源を優先的に配分する計画を立案します。

また、非常用発電機の燃料確保ルートの複数化も重要です。災害時には燃料供給業者自体が被災している可能性があり、通常の取引先からの調達が困難になることを想定しなければなりません。複数の燃料供給業者と事前に災害時協定を結んでおくこと、自治体の燃料供給支援体制を確認しておくことが有効です。

水の確保が最優先課題となる理由

水道が止まった場合、入所施設が直面する困難は想像以上に深刻です。飲料水の確保はもちろん、調理、手洗い、トイレの洗浄、清拭、洗濯など、介護の現場では大量の水を使用します。一人の高齢者が1日に必要とする水の量は、飲料水として約1.5リットル、生活用水として約50100リットルとされています。50名の入所施設であれば、1日あたり2,5005,000リットル以上の水が必要になる計算です。

多くの施設では飲料水のペットボトルは備蓄していても、生活用水までは十分に確保できていないのが実情でしょう。実践的な水確保策としては、受水槽の容量と備蓄水の関係を正確に把握すること、浴槽への水張りによる緊急時の生活用水確保、携帯トイレや簡易トイレの大量備蓄、近隣の給水拠点(公共施設、協力企業など)の事前確認と運搬手段の確保などが挙げられます。

食料備蓄の質的検討

食料備蓄については、「何日分あるか」という量的側面だけでなく、「誰が食べられるか」という質的側面の検討が不可欠です。高齢者、特に嚥下機能が低下した方にとって、一般的な非常食(乾パン、アルファ米など)は誤嚥のリスクが高く、適切とは言えません。

介護食・嚥下食に対応した非常食の備蓄、常温保存可能なゼリー食やムース食の確保、とろみ剤の十分な備蓄など、利用者の嚥下機能に応じた食事提供を災害時にも継続できる準備が求められます。また、糖尿病や腎臓病など、食事制限が必要な利用者への対応も事前に計画しておく必要があります。

施設内での避難生活の質確保―健康維持と尊厳の両立

避難生活が高齢者にもたらす二次的健康被害

大規模災害時に施設内で避難生活を送る場合、平時とは異なる環境が利用者の健康状態を急速に悪化させるリスクがあります。いわゆる「災害関連死」の多くは、避難生活における環境悪化や医療・介護の質低下が原因となっています。

入所施設における避難生活で特に注意すべきは、生活不活発病(廃用症候群)の進行です。災害対応に追われる中、リハビリテーションやレクリエーションが中断され、利用者が長時間同じ姿勢で過ごすことが増えると、わずか数日で筋力低下や関節拘縮が進行します。また、水分摂取の制限や活動量の減少により、脱水症状や深部静脈血栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)のリスクも高まるのです。

平時に近い生活リズムの維持戦略

災害時であっても、可能な限り平時に近い生活リズムを維持することが、利用者の健康維持と心理的安定につながります。そのためには、限られた資源の中で何を優先し、何を簡略化するかの判断基準を事前に定めておくことが重要です。

例えば、食事については、メニューの簡素化は許容しても、食事時間の規則性と食事形態(刻み食、ミキサー食など)の個別対応は維持するといった方針を明確にしておきます。排泄ケアについても、通常のオムツ交換の頻度を確保することが、褥瘡予防と感染症予防の観点から極めて重要です。

また、昼夜のメリハリをつけることも見落としがちな重要ポイントです。停電時には照明が限られ、昼夜の区別が曖昧になりがちですが、認知症高齢者にとって生活リズムの乱れは症状悪化の大きな要因となります。窓際への移動や懐中電灯の工夫により、日中と夜間の環境を区別する努力が必要でしょう。

職員のメンタルヘルスケアという盲点

施設内避難生活が長期化すると、利用者だけでなく職員の疲弊も深刻化します。特に、自身も被災者である職員が、家族の安否が不明なまま施設に泊まり込んで業務を続けるような状況では、極度のストレスにさらされることになります。

職員が倒れてしまえば、業務継続そのものが不可能になります。したがって、BCPには職員のローテーション計画、休憩・仮眠スペースの確保、職員家族の安否確認体制、外部からの応援職員の受け入れ体制なども含めて検討する必要があります。実際、災害時の職員招集において「家族の安全が確認できるまでは出勤できない」という声は当然のものであり、これを前提とした計画策定が現実的です。

BCPを「使える計画」にするために

訓練による計画の検証と改善

どれほど緻密に作成されたBCPも、訓練を通じて検証されなければ実効性は担保されません。厚生労働省のガイドラインでも年1回以上の訓練実施が求められていますが、形式的な訓練では意味がありません。

効果的なBCP訓練のポイントは、「想定外」の要素を組み込むことです。例えば、「訓練開始時点で施設長と看護師長が不在」「非常用発電機が作動しない」「備蓄食料の一部が使用不可」といった追加条件を設定し、計画通りにいかない状況での対応力を試すのです。このような訓練を通じて、計画の不備や非現実的な想定が明らかになり、BCPの実効性が高まっていきます。

地域との連携体制の構築

入所施設が単独で全ての災害対応を完結させることは現実的ではありません。他の介護施設、医療機関、自治体、地域住民との連携体制を平時から構築しておくことが、災害時の業務継続を支える重要な基盤となります。

特に、近隣の同種施設との相互応援協定は有効です。職員の相互派遣、備蓄物資の融通、利用者の一時的な受け入れなど、具体的な支援内容を協定に盛り込んでおくことで、実際の災害時に機能する連携が可能になります。また、自治体の災害対策部局との定期的な情報共有も欠かせません。

まとめ―BCPは「作って終わり」ではない

入所施設のBCPは、厚生労働省のひな形を埋めただけでは完成しません。24時間体制で利用者の生活を支えるという使命のもと、夜勤帯の脆弱性、ライフライン途絶の長期化、避難生活の質確保という固有の課題に対し、自施設の実情に即した具体的な対策を盛り込むことが求められます。

そして何より重要なのは、BCPを「生きた計画」として継続的に改善していく姿勢です。訓練による検証、地域連携の強化、最新の災害事例からの学びなど、PDCAサイクルを回し続けることで、初めてBCPは実効性を持つのです。

介護BCP教育研究所の「介護BCP実践アカデミー」では、こうした実践的なBCP策定・運用のノウハウを、事例研究やワークショップを通じて体系的に学ぶことができます。ひな形の先にある「本当に使えるBCP」の構築に向けて、専門的な知識とスキルを身につけることは、利用者の生命と尊厳を守る施設の責務と言えるでしょう。