利用者家族との情報共有―緊急時の混乱を防ぐコミュニケーション
厚生労働省のひな形を使ってBCP(業務継続計画)を作成したものの、「家族への情報提供はこれで十分なのだろうか」「緊急時に本当に機能するのか」と不安を感じている担当者は少なくありません。実際、BCPの策定は重要な第一歩ですが、それを実効性のあるものにするためには、利用者家族との綿密なコミュニケーション体制の構築が不可欠です。
災害や感染症のパンデミックなど、緊急事態が発生した際、家族は利用者の安否を何よりも心配します。しかし、事業所側が対応に追われる中で、適切な情報提供ができなければ、家族の不安は増幅し、問い合わせの電話が殺到して現場がさらに混乱するという悪循環に陥りかねません。本記事では、平時からの準備と緊急時の対応を通じて、家族との信頼関係を維持しながら業務継続を実現する方法を解説していきます。
なぜ家族との情報共有がBCPの成否を分けるのか
BCPの本質は、限られた資源の中で優先業務を継続することにあります。しかし、多くの事業所が見落としがちなのが、「家族対応」という業務負荷です。東日本大震災や新型コロナウイルス感染症の流行時、多くの介護施設で家族からの問い合わせ対応に職員が追われ、本来の支援業務に支障が出たという報告があります。
厚生労働省の「介護施設・事業所における業務継続ガイドライン」でも、利用者・家族等への情報発信の重要性が示されていますが、具体的な方法論については各事業所の創意工夫に委ねられている部分が大きいのが現状です。つまり、ひな形を埋めただけでは、実践的な家族対応体制は構築できないということです。
家族との情報共有が不十分な場合、次のようなリスクが発生します。第一に、不安を抱えた家族が施設に押しかけたり、頻繁に電話をかけてきたりすることで、職員の業務が中断されます。第二に、SNSなどで不正確な情報が拡散され、事業所の信頼性が損なわれる可能性があります。第三に、家族の協力が得られず、利用者の引き取りや物資の提供といった支援を受けられなくなることもあります。
逆に、平時から適切な情報共有体制を構築しておけば、緊急時に家族が事業所の判断を信頼し、冷静に対応してくれる可能性が高まります。これは結果として、職員が本来の支援業務に集中できる環境を作り出すのです。

平時から準備すべき情報提供の内容と方法
緊急時にスムーズな情報共有を実現するためには、平時からの準備が欠かせません。ここで重要なのは、「何を」「どのように」伝えるかという二つの視点です。
家族に事前共有すべき核心情報
まず家族に理解してもらうべきなのは、事業所のBCPの基本方針です。具体的には、どのような災害や緊急事態を想定しているのか、その際に事業所がどのような判断基準で行動するのか、利用者の安全確保のためにどのような対策を講じているのかといった点になります。
特に重要なのは、「優先業務」の考え方を共有することです。例えば、大規模災害時には通常のサービス提供が困難になり、利用者の生命維持と安全確保を最優先せざるを得ない状況が発生します。家族にこの現実を事前に理解してもらうことで、緊急時のサービス縮小に対する不満やクレームを最小限に抑えることができます。
また、緊急連絡体制についても明確に伝えておく必要があります。どのような手段で(電話、メール、SNS、掲示など)、誰から(管理者、担当職員、一括配信など)、どのタイミングで情報が提供されるのかを具体的に示すことが大切です。特に近年は、一斉メール配信システムやLINEなどのSNSを活用する事業所も増えていますが、すべての家族がデジタルツールを使いこなせるわけではないため、複数の連絡手段を用意しておくことが望ましいでしょう。
さらに、家族に協力してもらいたい事項も明確にしておきます。例えば、緊急連絡先の情報を常に最新に保つこと、災害時の利用者の引き取り可否とその条件、必要に応じた物資の提供協力などです。こうした「相互の役割分担」を平時から明確にしておくことで、緊急時の協力体制がスムーズに機能します。
情報提供のタイミングと形式
情報提供のタイミングとしては、契約時、定期的な面談時、運営懇談会やケアカンファレンス時などが考えられます。契約時には、BCP関連の説明書類を配布し、基本的な方針を理解してもらいます。その後、年に一度程度はBCPの内容を見直した際に、家族にも更新内容を通知することが重要です。
形式については、文書だけでなく、後述する説明会の開催も効果的です。一方的な情報提供だけでなく、家族からの質問や不安を聞き取る機会を設けることで、双方向のコミュニケーションが実現し、信頼関係が深まります。
また、防災訓練や感染症対策訓練に家族も参加できるようにすることで、実際の対応を目で見て理解してもらうという方法も有効です。実際に避難経路を歩いたり、職員が利用者を安全に誘導する様子を見たりすることで、家族の安心感は大きく高まります。
緊急時の連絡優先順位とその判断基準
緊急事態が発生した際、限られた職員と時間の中で、誰にどの順番で連絡すべきかを明確にしておくことは極めて重要です。この優先順位設定は、単なる事務作業ではなく、利用者の安全と家族の安心、そして業務継続のバランスを取る戦略的な判断なのです。
リスク評価に基づく優先順位の設定
連絡の優先順位は、利用者のリスクレベルと家族の状況を総合的に評価して決定します。最優先となるのは、医療的ケアが必要な利用者、認知症により自己判断が困難な利用者、緊急時に特別な配慮が必要な利用者の家族です。これらの利用者は、環境変化や支援の中断によって生命や健康に直接的な影響を受ける可能性が高いためです。
次に優先すべきは、日頃から家族との連携が密接で、緊急時の引き取りや物資提供などの協力が期待できる家族です。こうした家族との早期連絡は、事業所の負担軽減にもつながります。また、遠方に住んでいて容易に駆けつけられない家族や、高齢・疾病などの理由で支援が難しい家族に対しても、不安軽減のために早めの連絡が望ましいでしょう。
一方で、連絡の優先順位を下げざるを得ないケースもあります。例えば、比較的自立度が高く緊急性の低い利用者の家族や、平時から事業所との連携が良好で状況を理解してくれている家族などです。ただし、これは「連絡しない」という意味ではなく、一斉連絡や掲示などの方法で情報提供することを前提としています。
段階的な情報提供の実践方法
緊急時の連絡は、段階的に行うことが効果的です。第一報では、利用者の安否と施設の状況を簡潔に伝えます。この段階では詳細な情報よりも、「利用者は無事です」「施設は安全を確保しています」といった端的なメッセージが重要です。家族が最も知りたいのは、まず利用者の生存と安全だからです。
第二報以降では、より詳細な状況説明と今後の対応方針を伝えます。施設の被害状況、ライフラインの状況、サービス提供の継続可否、面会や引き取りに関する方針などを段階的に提供していきます。ここで注意すべきは、不確定な情報を安易に伝えないことです。「おそらく大丈夫だと思います」といった曖昧な表現は、後に状況が変わった際に家族の不信感を招く原因となります。
また、連絡手段も優先度に応じて使い分けます。最優先の家族には個別に電話連絡を行い、詳細な状況説明と質問対応を行います。次に、一斉メール配信やSNSグループでの情報発信により、多くの家族に同時に情報を届けます。さらに、施設の玄関や掲示板に情報を掲示することで、直接訪れた家族にも状況を伝えることができます。
実際の現場では、電話回線が混雑して通話が困難になることも想定されます。そのため、複数の連絡手段を確保しておくことが重要です。近年では、災害用伝言ダイヤル(171)の活用や、施設のホームページでの情報発信、SNSの活用など、多様な方法が実践されています。

家族向けBCP説明会の効果的な開催方法
BCPの内容を家族に理解してもらい、緊急時の協力体制を構築するためには、説明会の開催が非常に効果的です。しかし、単に資料を読み上げるだけの説明会では、家族の理解と協力は得られません。ここでは、実践的で効果の高い説明会の開催方法を紹介します。
説明会の企画と準備のポイント
説明会を成功させるためには、まず開催目的を明確にすることが重要です。単なる「情報提供」ではなく、「家族との信頼関係構築」「緊急時の協力体制の確立」「家族の不安軽減」といった具体的な目標を設定します。この目標に基づいて、説明内容や方法を設計していきます。
開催時期としては、年度初めや契約更新時期、あるいは防災週間や感染症流行期前など、家族の関心が高まるタイミングを選ぶと参加率が向上します。また、平日夜間や休日の開催、オンライン参加の選択肢を用意するなど、多様な家族が参加しやすい配慮も必要です。
説明会の時間配分としては、60分から90分程度が適切でしょう。前半30分程度でBCPの基本方針と具体的な対策を説明し、中盤20分程度で実際のシミュレーションや事例紹介を行い、後半に質疑応答の時間を十分に確保するという構成が効果的です。
説明内容の構成と伝え方
説明会では、専門用語を避け、具体的な場面をイメージできる言葉で伝えることが大切です。例えば「優先業務の選択」という概念を説明する際には、「大規模災害時には、いつものレクリエーションはできなくなりますが、食事や排泄の支援、お薬の管理など、命に関わる支援は必ず継続します」といった具体的な表現を使います。
また、視覚的な資料の活用も効果的です。施設の平面図に避難経路を示したもの、備蓄物資の写真、過去の災害時の対応記録(個人情報に配慮したもの)などを提示することで、家族の理解が深まります。可能であれば、実際に避難場所や備蓄倉庫を見学してもらう機会を設けることも有効です。
さらに、「もしもの時のシミュレーション」を家族と一緒に考える時間を設けることで、当事者意識を高めることができます。例えば、「大地震が発生し、電話がつながらない状態が3日間続いた場合、どのように行動しますか?」といった具体的な問いかけを行い、グループディスカッションの時間を設けるのです。こうした参加型の内容により、一方的な説明会ではなく、家族との対話の場が生まれます。
質疑応答と継続的なフォローアップ
説明会で最も重要なのは、質疑応答の時間です。家族が持つ不安や疑問に丁寧に答えることで、信頼関係が構築されます。よくある質問としては、「災害時に施設に駆けつけてもよいか」「引き取りが必要になるのはどのような場合か」「備蓄食は利用者の嗜好や嚥下状態に配慮されているか」といったものがあります。
これらの質問に対して、その場で回答できない事項があっても、誠実に「確認して後日お答えします」と伝え、必ず約束を守ることが信頼につながります。また、質問内容を記録し、BCPの見直しや次回の説明会に反映させることで、継続的な改善が可能になります。
説明会後のフォローアップも重要です。説明会の内容をまとめた資料を配布し、欠席した家族にも情報が届くようにします。また、説明会で出た質問とその回答をQ&A形式でまとめ、全家族に共有することで、より広範な理解が得られます。
さらに、説明会は単発で終わらせるのではなく、年に一度程度の定期開催を計画し、BCPの更新内容や訓練結果を継続的に報告していくことが望ましいでしょう。こうした継続的な取り組みが、家族との長期的な信頼関係を築くのです。

実践のための次のステップ
ここまで、家族との情報共有について、平時の準備から緊急時の対応、説明会の開催方法まで解説してきました。しかし、これらを実際の現場でどのように実践するかは、各事業所の規模や特性、地域性によって異なります。
厚生労働省のひな形は優れた出発点ですが、それを「生きたBCP」として機能させるためには、自事業所の実情に合わせたカスタマイズと、実践を通じた継続的な改善が不可欠です。特に家族との情報共有においては、信頼関係の構築という目に見えにくい要素が成否を左右するため、マニュアル通りの対応だけでは不十分なのです。
多くのBCP担当者が直面する課題は、「理論はわかったが、具体的にどう進めればよいかわからない」「他施設の実践例を知りたい」「専門家からのフィードバックが欲しい」といったものです。こうした実践的なスキルとノウハウは、体系的な学習と経験の蓄積によって身につけることができます。
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利用者と家族の命を守り、緊急時にも安心して任せられる事業所として信頼を獲得するために、今こそ本格的なBCP実践力を身につけませんか。


