介護現場の安否確認システム構築―72時間以内に全員と連絡を取る方法
はじめに
厚生労働省のひな形を使ってBCP(業務継続計画)を作成したものの、「これで本当に機能するのだろうか」と不安を感じていませんか。特に災害発生時の安否確認については、計画書に「職員の安否確認を行う」と記載したものの、具体的にどのような手順で、どんなツールを使って実施すればよいのか、悩まれている担当者の方も多いのではないでしょうか。
災害発生時、介護サービスを継続するためには、職員の安全確保と迅速な参集が不可欠です。しかし、大規模災害時には通信インフラが麻痺し、普段使っている連絡手段が使えなくなることも珍しくありません。東日本大震災では、発災直後から電話回線がパンクし、多くの事業所で職員との連絡が取れない状況が続きました。
本記事では、災害発生から72時間以内に全職員の安否を確認し、事業継続に必要な体制を整えるための具体的な方法について解説します。
なぜ72時間なのか―災害対応における時間軸の重要性
災害対応において「72時間」は極めて重要な時間軸です。この時間は、被災者の生存率が大きく低下する境界線であると同時に、介護事業所が業務継続の可否を判断し、サービス提供体制を再構築する上での重要な期限でもあります。
内閣府の防災基本計画では、発災後72時間を「人命救助活動において極めて重要な時間帯」と位置づけています。介護事業所においても、この72時間以内に職員の安否と参集可能性を確認し、利用者へのサービス提供体制を確立する必要があります。
実際、平成28年熊本地震における介護事業所の調査では、発災後48時間以内に職員の8割以上と連絡が取れた事業所は、72時間以内にサービス提供を再開できた割合が高かったという報告があります。逆に、職員との連絡に時間を要した事業所では、サービス再開が大幅に遅れ、利用者の生活に深刻な影響が出たケースも報告されています。
複数の連絡手段を準備する理由と具体的な組み合わせ
災害時の通信環境は極めて不安定です。一つの連絡手段に依存することは、安否確認システムの致命的な弱点となります。ここでは、なぜ複数の手段が必要なのか、そしてどのような組み合わせが効果的なのかを解説します。
災害時の通信障害の実態
大規模災害時には、音声通話の輻輳(ふくそう)により電話がつながりにくくなります。総務省の調査によれば、東日本大震災では発災直後、固定電話で最大80%から90%、携帯電話で最大70%から95%の通信規制が実施されました。つまり、10回電話をかけても1回しかつながらない状況が発生したのです。
一方で、データ通信については音声通話ほどの規制は実施されませんでした。これは、音声通話とデータ通信では通信網の仕組みが異なるためです。この特性を理解することが、効果的な連絡手段の選択につながります。
推奨される連絡手段の組み合わせ
介護事業所で準備すべき連絡手段は、以下の3層構造で考えることが効果的です。
第一層:デジタル連絡手段(最優先)
災害時に最も有効性が高いのは、データ通信を利用した連絡手段です。具体的には、LINE、メール、安否確認専用アプリなどが該当します。これらは音声通話と比較して通信規制の影響を受けにくく、一斉送信が可能なため、短時間で多くの職員に連絡できるという利点があります。
特にLINEは、多くの介護事業所ですでに業務連絡に活用されており、職員の習熟度も高いため、導入のハードルが低いといえます。ただし、プライベートと業務の境界が曖昧になりやすいという課題もあるため、グループの使い分けなどのルール設定が必要です。
第二層:音声通話(補完手段)
携帯電話や固定電話による音声通話は、つながりにくい状況が予想されますが、完全に使えなくなるわけではありません。特に発災から数時間後、通信規制が段階的に緩和される時間帯には有効な手段となります。
また、高齢の職員の中には、スマートフォンの操作に不慣れな方もいます。そうした職員にとっては、慣れ親しんだ電話が最も確実な連絡手段となる場合もあります。
第三層:アナログ手段(最終手段)
デジタル手段が全く使えない状況も想定して、アナログな連絡手段も準備しておく必要があります。具体的には、職員の自宅への訪問、避難所での確認、事業所への参集などです。
実際、東日本大震災では、通信手段が途絶した地域において、事業所に直接集まることで職員間の連絡を取り合ったケースが多数報告されています。そのため、「通信手段が使えない場合は事業所に参集する」というルールをあらかじめ決めておくことが重要です。

連絡手段の登録と更新の仕組み
複数の連絡手段を準備しても、情報が古ければ意味がありません。職員の連絡先情報は、少なくとも年2回の定期更新と、異動・退職時の随時更新が必要です。
連絡先リストには、本人の携帯電話、メールアドレス、LINEアカウントに加えて、緊急時の家族連絡先も含めることが推奨されます。本人と連絡が取れない場合、家族を通じて安否を確認できるケースもあるためです。
安否確認の優先順位をどう決めるか
災害時には、限られた時間と通信手段の中で効率的に安否確認を進める必要があります。そのためには、明確な優先順位の設定が不可欠です。
優先順位設定の基本的な考え方
安否確認の優先順位は、「事業継続への影響度」と「本人の被災リスク」の2つの軸で考えます。
まず事業継続への影響度という観点では、管理者、サービス提供責任者、看護職員など、事業所の中核を担う職員を優先的に確認します。これらの職員の参集可否により、サービス提供の可否が大きく左右されるためです。
次に、本人の被災リスクという観点では、自宅が被災想定区域内にある職員、高齢者や小さな子供がいる職員、通勤距離が長い職員などを優先します。これらの職員は、被災により出勤が困難になる可能性が高いため、早期に状況を把握する必要があります。
実践的な優先順位の設定例
具体的には、以下のような分類が有効です。
最優先確認対象(発災後1時間以内)
施設長、管理者、サービス提供責任者、看護職員、当日勤務予定だった職員が該当します。これらの職員の安否と参集可否を最優先で確認します。特に当日勤務予定だった職員については、利用者へのサービス提供が途切れないよう、代替要員の手配も含めて迅速な対応が必要です。
優先確認対象(発災後6時間以内)
翌日以降の勤務予定者、被災想定区域内に居住する職員、独居の職員などが該当します。これらの職員の状況を早期に把握することで、72時間以内のシフト調整の見通しを立てることができます。
一般確認対象(発災後24時間以内)
上記以外の全職員が該当します。ただし、24時間以内には全職員の安否確認を完了することを目標とします。
優先順位に基づく連絡体制の構築
優先順位を実効性のあるものにするためには、連絡体制の明確化が必要です。多くの介護事業所で効果的なのは、「系統別連絡網」の構築です。
これは、管理者が複数のリーダー職員に連絡し、各リーダーが担当する職員グループに連絡を展開する方式です。例えば、訪問介護事業所であれば、サービス提供責任者が担当ヘルパーに連絡する形が自然です。
この方式の利点は、管理者一人がすべての職員に連絡する負担を分散できること、そして各グループ内での細やかな情報共有が可能になることです。ただし、リーダー職員自身が被災して連絡が取れない場合に備えて、副担当者も決めておく必要があります。
安否確認アプリの実践的な活用法
近年、災害時の安否確認を効率化するための専用アプリやサービスが多数提供されています。これらを効果的に活用することで、安否確認の迅速性と正確性を大幅に向上させることができます。
安否確認アプリの基本機能と選定のポイント
安否確認アプリには、一般的に以下の機能が搭載されています。自動送信機能は、気象庁の地震情報などと連動し、一定規模以上の災害が発生した際に自動的に全職員に安否確認のメッセージを送信します。これにより、管理者が被災していて手動で送信できない状況でも、安否確認を開始できます。
回答集約機能は、職員からの回答を自動的に集計し、未回答者を一覧表示します。従来の電話やメールでの確認では、誰に連絡済みで誰が未確認かを管理するだけで大きな負担でしたが、アプリを使用することでこの作業が大幅に効率化されます。
位置情報機能は、職員の現在地を地図上に表示します。これにより、どの地域の職員が被災している可能性が高いか、どの職員が事業所に参集しやすい位置にいるかなどを視覚的に把握できます。

介護事業所に適したアプリの選び方
アプリを選定する際には、介護事業所特有のニーズを考慮する必要があります。
まず、操作の簡便性は極めて重要です。介護職員の年齢層は幅広く、スマートフォンの操作に不慣れな職員も少なくありません。複雑な操作が必要なアプリは、緊急時に使いこなせない可能性があります。実際に導入する前に、複数の職員に試用してもらい、操作性を確認することをお勧めします。
次に、コストも重要な検討事項です。多くのアプリは月額料金制ですが、職員数に応じて料金が変動するため、小規模事業所でも導入しやすいプランがあるかを確認しましょう。また、無料のサービスもありますが、機能が限定されていることが多いため、自事業所に必要な機能が含まれているかの確認が必要です。
さらに、既存システムとの連携も考慮すべき点です。すでに勤怠管理システムや業務管理システムを導入している場合、これらと連携できるアプリを選ぶことで、職員情報の二重管理を避けることができます。
アプリ導入後の運用で注意すべきこと
アプリを導入しただけでは、災害時に機能しません。平時からの訓練と運用が不可欠です。
最も重要なのは、定期的な送信訓練です。少なくとも年2回、できれば四半期に1回程度、実際にアプリから安否確認メッセージを送信し、全職員が回答する訓練を実施します。この訓練により、職員のアプリ操作に対する習熟度が向上するだけでなく、アプリがきちんと機能するか、全職員に通知が届くかなどを確認できます。
訓練実施後は、必ず回答率を分析します。回答率が低い場合、その原因を探る必要があります。通知設定がオフになっている、アプリを削除してしまった、スマートフォンを変更して再インストールしていないなど、様々な理由が考えられます。
また、アプリだけに依存しない体制も重要です。前述の通り、通信環境が悪化してアプリが使えない状況も想定されます。アプリは主要な連絡手段として活用しつつ、電話やアナログ手段も併用する体制を維持することが必要です。
個人情報保護への配慮
安否確認アプリには職員の個人情報や位置情報が含まれるため、個人情報保護への配慮が必要です。
アプリの提供事業者が、個人情報保護法に準拠したセキュリティ対策を講じているかを確認しましょう。特に、データの暗号化、サーバーの所在地、情報の保管期間などは重要な確認事項です。
また、職員に対しては、アプリで取得される情報の範囲と利用目的を明確に説明し、同意を得ることが必要です。特に位置情報については、プライバシーへの懸念を持つ職員もいるため、丁寧な説明が求められます。
安否確認後のアクションプラン
安否確認は、それ自体が目的ではありません。確認した情報をもとに、迅速に次のアクションを取ることが重要です。
情報の集約と共有
安否確認で得られた情報は、速やかに集約し、対策本部で共有します。具体的には、安全確認済みの職員数、負傷者の有無と程度、参集可能な職員数、参集不可能な職員とその理由などを整理します。
この情報をもとに、利用者へのサービス提供体制を判断します。通常通りのサービス提供が可能か、縮小しての提供となるか、あるいは一時的な休止が必要かなどを決定します。
72時間のシフト構築
災害発生から72時間は、最も混乱が大きく、また職員の疲労も蓄積する時期です。この期間を乗り切るための暫定的なシフトを早急に構築する必要があります。
シフト構築の際には、参集可能な職員の居住地、家族の状況、体調などを考慮します。特に、小さな子供や要介護者を抱える職員については、長時間の勤務が難しい場合もあります。また、自宅が被災した職員については、心理的なストレスも大きいため、無理な勤務を強いないよう配慮が必要です。
可能であれば、事業所に宿泊できる体制を整えることも有効です。通勤が困難な状況下では、事業所に留まって交代で休憩を取りながら業務を継続する方が効率的な場合もあります。
まとめ―計画から実践へ
厚生労働省のひな形でBCPを作成したことは、重要な第一歩です。しかし、真に機能するBCPにするためには、ここで解説した安否確認システムのような具体的な仕組みを構築し、訓練を重ねることが不可欠です。
安否確認システムの構築において最も重要なのは、完璧を目指すのではなく、まず始めることです。小規模な事業所であれば、高額なアプリを導入しなくても、LINEグループと電話連絡網の組み合わせでも十分に機能します。大切なのは、自事業所の規模や特性に合った方法を選び、それを職員全員が理解し、実践できるようにすることです。
次回の防災訓練では、ぜひ安否確認訓練を組み込んでみてください。実際にやってみることで、計画の不備や改善点が見えてきます。そして、訓練の結果を踏まえて計画を見直す。このサイクルを繰り返すことで、あなたの事業所のBCPは、紙の上の計画から、実際に機能する業務継続計画へと進化していくのです。
参考文献
- 厚生労働省「介護施設・事業所における業務継続計画(BCP)作成支援に関する研修」
- 内閣府「防災基本計画」
- 総務省「東日本大震災における通信サービスの現状について」(平成23年)


