訪問介護事業所のBCP―在宅サービス特有の課題と対策

厚生労働省のひな形を使ってBCP(業務継続計画)を作成したものの、「これで本当に大丈夫なのか」「実際の災害時に機能するのか」と不安を感じていませんか。特に訪問介護事業所では、施設型サービスとは異なる独自の課題に直面します。利用者が点在する地域全体をカバーしなければならず、ヘルパーの移動手段確保や各利用者宅での安全確保など、検討すべき要素は多岐にわたります。

本記事では、訪問介護事業所が直面する「訪問困難地域の判断」「優先業務の選定」「利用者宅での安全確保」「移動手段確保の工夫」という4つの重要課題について、実践的な対策を解説していきます。

訪問介護事業所のBCPが難しい理由

訪問介護は利用者の自宅という「管理外の環境」でサービスを提供する特性があります。施設であれば建物の耐震性を確認し、備蓄を一箇所に集約できますが、訪問介護では数十件の利用者宅それぞれで状況が異なるのです。

さらに、ヘルパーは災害時に自宅から直接利用者宅へ向かうケースが多く、事業所での一括管理が困難です。道路の寸断、公共交通機関の停止、ガソリン不足など、移動に関するリスクも施設型サービスより格段に高まります。

東日本大震災や熊本地震の際には、訪問介護事業所の多くが「どの利用者を優先するか」「どのルートで訪問するか」の判断に苦慮したという報告があります(厚生労働省「東日本大震災における介護サービス事業所の被災状況調査」)。この経験から学ぶべきは、平時からの具体的な判断基準の策定が不可欠だということです。

訪問困難地域の判断基準を明確化する

災害発生時、すべての利用者を通常どおり訪問することは不可能です。限られたリソースで最大限のサービスを提供するには、「訪問継続が可能な地域」と「訪問困難な地域」を迅速に判断する必要があります。

ハザードマップとの照合を基本とする

まず行うべきは、事業所の管轄エリア全体のハザードマップ分析です。自治体が公開している洪水・土砂災害・津波・地震などのハザードマップに、全利用者の住所をプロットしましょう。この作業により、どの地域がどのリスクに晒されているかが視覚化されます。

単にリスクを把握するだけでなく、「警戒レベル3が発令された場合は○○地区への訪問を原則中止」「震度6弱以上の地震発生時は△△地区の安全確認後に訪問再開」といった具体的な行動基準を設定することが重要です。抽象的な「状況を見て判断」では、災害時の混乱した状況下で適切な意思決定はできません。

道路ネットワークの脆弱性を評価する

訪問困難の判断には、道路インフラの状況も考慮しなければなりません。一本道しかない地域、橋やトンネルに依存している地域、土砂崩れの危険がある山間部などは、災害時に孤立するリスクが高いでしょう。

国土交通省の「重要物流道路」や自治体の「緊急輸送道路」の指定状況も参考になります。これらの道路は災害時に優先的に啓開(復旧)される可能性が高いため、これらの道路でアクセス可能な地域は比較的早期に訪問再開できる見込みがあります。

優先順位付けのマトリクスを作成する

全利用者について、「生命維持の緊急度」と「訪問可能性」の2軸でマトリクスを作成すると判断がスムーズになります。インスリン注射や経管栄養など医療的ケアが必要な方、独居で認知症がある方などは緊急度が高いと評価されます。一方、訪問可能性は前述のハザードマップや道路状況の分析に基づいて判定するのです。

この結果、「緊急度高×訪問可能」の利用者を最優先とし、「緊急度高×訪問困難」の場合は行政や他事業所との連携による代替手段を検討する、という判断フローが明確になります。ただし、この優先順位は機械的に適用するのではなく、実際の被災状況に応じて柔軟に見直す必要があることも忘れてはいけません。

優先業務の明確化―何を残し、何を削るか

災害時には通常業務のすべてを継続することは不可能です。限られた人員と時間で最も重要な業務に集中するため、「優先業務」と「縮小・休止する業務」を明確に区分しておく必要があります。

生命維持に直結する業務を最優先とする

訪問介護における最優先業務は、利用者の生命維持に直結するサービスです。具体的には、服薬介助(特に糖尿病・心疾患・精神疾患など中断できない薬剤)、インスリン注射などの医療的ケア、経管栄養や胃ろうからの栄養注入、排泄介助(特に導尿や人工肛門のケア)、褥瘡予防のための体位変換などが該当します。

これらのサービスが中断されると、数時間から数日で生命に危険が及ぶ可能性があるため、災害時であっても継続する必要があります。各利用者の「生命維持に必須のサービス」を個別に洗い出し、BCPに明記しておきましょう。

厚生労働省の「介護施設・事業所における業務継続ガイドライン」でも、災害時には「利用者の生命・身体の安全確保を最優先とした業務の絞り込み」が推奨されています。この考え方を訪問介護に適用すると、生命維持業務への集中が基本方針となるのです。

段階的に業務を回復させる計画を立てる

災害発生直後から通常業務に戻るまでの間、段階的に業務を拡大していく計画が必要です。一般的には「緊急対応期(発災後72時間)」「復旧期(4日目から2週間程度)」「復興期(3週間目以降)」の3段階で考えると整理しやすくなります。

緊急対応期には、前述の生命維持業務のみに特化します。この時期は安否確認と生命維持が最優先であり、入浴介助や掃除・洗濯といった生活援助は原則として休止します。利用者や家族には事前にこの方針を説明し、理解を得ておくことが重要です。

復旧期に入ると、食事介助や水分摂取介助など、健康維持に必要な業務を段階的に再開していきます。この段階では、週3回の訪問を週1回に減らす、訪問時間を60分から30分に短縮するといった縮小版でのサービス提供も検討しましょう。完璧を求めるのではなく、最低限の支援を多くの利用者に届けることを優先する発想が求められます。

復興期になって初めて、入浴介助や生活援助といった通常業務を順次再開していきます。ただし、この段階でもヘルパーの疲労度や地域の復旧状況を考慮し、無理のない範囲での業務拡大を心がけなければなりません。

事務作業の優先順位も整理する

見落としがちなのが、事務作業の優先順位です。災害時には記録業務や請求業務も平時通りには進められません。どの事務作業を継続し、どれを簡略化または一時停止するかを決めておくことで、現場のヘルパーが利用者支援に集中できる環境を作れます。

最優先すべき事務作業は、利用者の安否確認記録と訪問実施記録です。誰にいつ訪問し、どのような状態だったかを簡易的にでも記録しておくことで、事後の検証や行政への報告が可能になります。スマートフォンで写真を撮る、音声メモを残すといった簡便な方法も有効でしょう。

一方、詳細な介護記録の作成、モニタリング報告書の作成、ケアプラン変更の手続きなどは、災害時には簡略化または延期を検討すべき業務です。もちろん、行政から特例措置が発表される場合もありますので、自治体からの情報収集も並行して行う必要があります。

利用者宅での安全確保―ヘルパーと利用者双方を守る

訪問介護の現場では、ヘルパーが単独で利用者宅という「管理外の環境」に入ります。災害時にはこの環境がさらに危険になるため、事前の対策が欠かせません。

利用者宅の安全状況を事前調査する

平時から各利用者宅の安全状況を把握しておくことが基本です。家具の転倒防止対策の有無、非常口の確認、避難経路の障害物チェックなどを、サービス提供計画書作成時やモニタリング時に実施しましょう。

特に重要なのは、建物の築年数と耐震性の確認です。1981年以前に建築された建物は旧耐震基準であり、大地震時の倒壊リスクが高まります。こうした情報を記録し、災害時の訪問判断材料とすることが求められます。

また、利用者宅の備蓄状況も確認しておくべきです。水・食料・医薬品・衛生用品などが最低3日分あるかどうかで、災害時の訪問頻度や支援内容が変わってきます。「利用者任せ」ではなく、ケアマネジャーと連携しながら備蓄を促すことも、訪問介護事業所の役割といえるでしょう。

ヘルパーの安全確保マニュアルを整備する

ヘルパー自身の安全確保なくして、利用者支援は成り立ちません。災害時の訪問における安全基準を明文化し、すべてのヘルパーに周知徹底する必要があります。

具体的には、「余震が継続している間は屋内作業を最小限にする」「建物に亀裂や傾きが見られる場合は立ち入らない」「ガス臭がする場合は直ちに退避する」といった判断基準です。現場のヘルパーが自己判断で身を守れるよう、権限委譲も含めたルール作りが重要になります。

さらに、ヘルパーの位置情報を把握できる体制も検討したいところです。スマートフォンのGPS機能やビジネスチャットツールを活用すれば、事業所は各ヘルパーの所在と安否を確認でき、緊急時の指示も迅速に伝達できます。

代替サービスとの連携体制を構築する

利用者宅への訪問が危険と判断された場合、代替手段を確保しておくことが利用者の安全確保につながります。地域の福祉避難所や他の介護事業所との連携協定を平時から結んでおき、災害時には一時的な受け入れや他事業所からの支援を受けられるようにしておきましょう。

また、近隣住民や民生委員との顔の見える関係づくりも効果的です。訪問介護事業所が到達できない状況でも、地域の支援者が安否確認や簡易的な支援を行えれば、利用者の孤立を防げます。

移動手段確保の工夫―複数の選択肢を持つ

訪問介護において移動手段の確保は生命線です。災害時には通常の移動手段が使えなくなる可能性を想定し、複数の代替手段を準備しておく必要があります。

車両・燃料・ルートの多重化

多くの訪問介護事業所では、ヘルパーは自家用車やバイク、自転車で移動しています。災害時にはガソリンスタンドが営業停止となり、給油が困難になることを想定しなければなりません。

対策として、事業所で予備燃料を備蓄する方法があります。必要に応じて、消防法の規制内(ガソリンは携行缶で最大40リットルまで)で保管し、定期的に入れ替えて劣化を防ぎましょう。また、電動アシスト自転車や電動バイクを導入しておけば、ガソリン不足の影響を受けにくくなります。

ルートの多重化も重要です。通常ルートが通行不能になった場合の代替ルートを、各利用者宅について複数検討しておきましょう。地図アプリだけでなく、実際に下見をして道幅や路面状態を確認しておくと、災害時の判断精度が高まります。

地域の交通リソースとの連携

自事業所のリソースだけでなく、地域の交通手段も活用する視点が必要です。タクシー会社やレンタカー事業者と災害時の優先利用協定を結んでおけば、ヘルパーの移動手段を補完できる可能性があります。

また、自治体の災害時移動支援制度についても事前に情報収集しておきましょう。一部の自治体では、災害時に福祉関係事業所への優先給油や車両貸与の仕組みを整備しています。こうした公的支援を活用することで、事業継続の可能性が高まるのです。

ヘルパーの参集基準と代替人員の確保

災害時、すべてのヘルパーが出勤できるとは限りません。自宅が被災した場合や家族の安全確保が必要な場合、ヘルパー自身も被災者となります。

そこで、「参集基準」を明確にしておくことが重要です。「自身と家族の安全が確保されていること」「自宅から事業所または利用者宅までの移動が可能であること」といった客観的な基準を設定し、無理な出勤を強いない体制を作りましょう。

同時に、人員不足に備えた代替人員の確保策も必要です。近隣の同業事業所との相互支援協定、退職した元職員への協力依頼、介護福祉士養成校との連携など、複数のチャネルを確保しておくことで、災害時の人手不足リスクを軽減できます。

BCPは「作って終わり」ではなく「使えるツール」に

ここまで訪問介護事業所特有のBCP課題と対策を解説してきましたが、最も重要なのは「実効性」です。厚労省のひな形を埋めただけの計画書は、災害時に機能しません。

実効性を高めるには、定期的な訓練と計画の見直しが不可欠です。年に1〜2回、実際の災害を想定したシミュレーション訓練を実施し、「訪問困難地域の判断に時間がかかった」「優先業務の絞り込みで意見が分かれた」「連絡手段が機能しなかった」といった課題を洗い出しましょう。そして、その課題をBCPに反映させる継続的改善のサイクルを回すのです。

また、地域の防災訓練への参加や、行政・他事業所との合同訓練も有効です。実際の災害時には、単独事業所で完結することは困難であり、地域全体での連携が求められます。平時からの顔の見える関係づくりが、災害時の円滑な協力体制につながるでしょう。

より実践的なBCPを構築するために

訪問介護事業所のBCPは、施設型サービスとは異なる専門的知識とノウハウが必要です。本記事で紹介した基本的な考え方を土台に、自事業所の地域特性や利用者特性を反映させた独自の計画を作り上げていくことが求められます。

しかし、「どこまで具体化すればいいのか」「優先業務の判断は本当にこれで適切なのか」「この判断基準で実際に動けるのか」といった疑問が残るかもしれません。BCPは正解が一つではなく、事業所ごとに最適解を見つけ出すプロセスが重要だからです。

より実践的で使えるBCPを構築したい、職員全員が理解し動けるBCPにしたい、そう感じた方は、専門的な知識と豊富な事例を学べる「介護BCP実践アカデミー」での学びを検討されてはいかがでしょうか。実際の災害事例に基づいた実践的な手法を体系的に学ぶことで、あなたの事業所のBCPは「作った」から「使える」へと進化していくはずです。